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東京地方裁判所 昭和29年(行)114号 中間判決

原告 成毛民也

被告 千葉県知事

主文

原告のなした被告変更の申立は適法である。

事実

原告訴訟代理人は、まず農林大臣を被告として、「被告が原告に対し昭和二十九年七月一日を買収期日としてなした別紙目録記載の土地に関する買収処分は、これを取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

一、別紙目録記載の各土地は原告が昭和二十二年十月二日自作農創設特別措置法(以下措置法と略称する)に基き国から売渡を受けたものであるが、被告農林大臣は昭和二十九年六月二十五日附内容証明郵便により、右土地は農地法第十五条により国が同年七月一日を買収期日として買収する旨を原告に通知し、同時に、国庫金送金通知書を同封して来た。原告は右通知書を同年六月二十九日受領した。

二、しかしながら、本件土地はかつて原告の亡父寅松が債務担保の目的で訴外根本長勇に所有権を移転したものであつて、原告は昭和二十年に右債務を弁済し本件土地の返還を受けたものの、農地についての所有権移転登記手続は通常の方法ではなし得ないことになつた。そこで原告は自作農創設維持事業承認申請の手続により所有権移転登記を得ようとしたところ、措置法の制定をみたので、居村農地委員会の了解のもとに、同法に基く買収売渡の手続によつて所有権取得登記手続を了することができた。従つて、本件土地は同法に基く売渡のなされた以前から原告の所有に属していたのであつて、措置法による買収売渡は、単に登記手続の必要上なされたに過ぎないのであるから、原告が本件土地を他に賃貸しても農地法第十五条に該当しないことは、居村瑞穂村農地委員会も承認していたのである。

三、右のとおりであるから、原告は本件土地を農地法第十五条によつて買収されるいわれがないので、昭和二十九年七月一日、前記原告宛通知書類を内容証明郵便で返還し、本件処分に不服である旨を通告したが、被告はその後なんらの措置に出なかつたので、安心していたところ、瑞穂村農業委員会が右土地の売渡に関する公告をする等の挙に出たので、原告は驚いて不服申立の手続を行なおうとしたところ、既に訴願期間を徒過しており、訴願をすることができなかつた。しかしながら、前記のように原告は被告農林大臣に対し本件買収処分に不服である旨の意思表示をしたのであるから、同被告は国民の公僕として、不服があれば訴願をなすべき旨の注意を原告に与えて然るべきである。しかるに被告がこの措置をとらなかつたのは、国民の無知に乗じて買収処分を強行しようとするものであつて、人権保護の尊重されている現憲法の下においては誠実を欠いたものというべきである。従つて、原告が本件買収処分の取消を訴求するについては、訴願を経ないことに関し右のとおりの正当な事由があるので、原告は本訴において本件買収処分の取消を求める。

と陳述し、更に、被告を千葉県知事柴田等に変更すべきことを申し立て、その理由として次のとおり述べた。

原告は本件土地について買収令書の交付を受けることなく、突然前記昭和二十九年六月二十五日附内容証明郵便を受領し、しかも、その差出人が東京農地事務局資金前渡官吏宍倉安三郎名義となつていたので、一途に本件買収処分が農林大臣によつてなされたものと思い込み、被告を農林大臣河野一郎として本訴を提起したが、その後本件買収処分が千葉県知事柴田等によつてなされたことが判明したので、本件被告を同知事に変更する。買収令書の交付に関する被告農林大臣の主張事実を否認する。

被告農林大臣河野一郎指定代理人は「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案前の答弁として、行政事件訴訟特例法第二条、第三条の規定によれば、行政庁の違法な処分の取消を求める訴は、原則として処分をした行政庁を被告として提起すべきものであるところ、原告が本訴において取消を求める買収処分は千葉県知事が昭和二十九年六月五日附買収令書を同月十二日原告に交付してなした(但し、原告は右買収令書を一読後、これを手交した地元農業委員会書記に返還したので、買収令書は現在は原告の手許には存しない。)ものであるから、原告は同知事を被告として右処分の取消の訴を提起すべきであつて、被告農林大臣は本訴については被告としての能力ないし適格を有しないので、本訴は不適法として却下されるべきであると述べ、原告のなした被告変更の申立に対し、原告訴訟代理人は法律専門家たる弁護士として訴訟関係法規に通暁していることはもちろん、既に千葉地方裁判所に対し千葉県農地委員会、千葉県知事等を被告とする四件の農地関係の訴を訴訟代理人として提起した経験を有しているので、農地関係法規にも明るいのであるから、農地法上本件買収処分の処分庁が千葉県知事であることの明瞭な本件において、被告とすべき行政庁を誤つて農林大臣としたことは、重大な過失によるものと言うべく、従つて本件については被告変更の申立は許されるべきでない、と陳述した。

理由

原告のなした被告変更の申立に対し、被告農林大臣は、右申立は行政事件訴訟特例法第七条第一項但書に該当する不適法なものである旨を主張するので、先ずこの点につき判断する。

同法第三条、第二条の規定によれば、違法な行政処分の取消を求める訴は、原則として処分をした行政庁を被告として提起すべきものとされ、同法第七条は、右の場合原告が被告とすべき行政庁を誤つたときは、原告に故意又は重大な過失がない限り、訴訟の係属中被告を変更することができる旨を規定している。これを本件についてみれば、本訴は法律専門家である弁護士が原告の訴訟代理人として提起したものであるから、本件について農林大臣を被告とする場合が全く存しないとか、訴訟代理人が依頼者から受領した証拠資料を見なかつた為めに被告の表示を誤つたとか等、法律家として当然負担すべき注意義務を全く欠いた場合には、被告を誤つたことにつき重大な過失があつたということができよう。ところで本件においては、原告の受領した昭和二十九年六月二十五日附通知書中に、本件買収が農地法第十五条によるものである旨の記載が存したことは、原告が自ら主張するところであるが、同法第十五条第二項、第十一条第一項の規定によれば、同法第十五条による買収処分も、他の場合の買収処分と同様、都道府県知事が買収令書を作成交付してこれをなすべきことが明かにされており、他方本件訴訟が農林大臣に対する訴願を経由して提起され、その訴願裁決の違法を攻撃するものでないことは、原告の主張自体によつて明かである。従つてこれらの点からは、本件において被告を農林大臣とすべき場合は存しないと言い得るであろう。

しかしながら、同法第八十九条第二項の規定によれば、農林大臣は、特に必要があると認めるときは、同法により都道府県知事に属させた事項を自ら処理し得るものとされているので、同法第十五条による買収処分も、農林大臣が自らこれをなす場合があり得るのであつて、必ずしも被告農林大臣の主張するように、農地法の規定上本件買収処分の処分庁が千葉県知事であることが明瞭であるとは称し難い。しかも、同被告の主張によれば、本件買収処分については千葉県知事が買収令書を作成し、これを昭和二十九年六月十二日原告の地元農業委員会の書記をして原告方に持参させて現実に原告に交付したが、原告は右買収令書を受領して一読後、これを同書記に返戻したというのであつて、これによつてみれば、原告が買収令書の作成名義者を確認する余裕をもたなかつたことは同被告が自ら認めるところというべく、また原告は被告の右主張事実を否認するが、少くとも右買収令書が原告訴訟代理人の目に触れたことがないことは、当事者間に争いのない事実と言うことができる。ことに、原告の受領した昭和二十九年六月二十五日附国庫金送金通知書送付書の差出人が原告の地元の政府機関ではなく、東京農地事務局資金前渡官吏であつたことは、被告の明かに争わないところであつて、原告訴訟代理人は主としてこの事から本件買収処分が農林大臣によつてなされたものと考えた、と推測される。右の該事情を考え合せるときは、原告が本件被告を誤つて農林大臣としたことにつき重大な過失があつたと言うことは困難である。

もちろん、原告訴訟代理人としては、本件訴の提起を原告から受任した際に、地元農業委員会その他の関係機関に対し、本件買収処分の処分庁が果して農林大臣であるか否かを照会して確かめるべきであろう。しかし、同人が右の注意義務を怠つたことは、前記の諸事情の認められる本件の場合には、未だもつて行政事件訴訟特例法第七条第一項但書にいう重大な過失に該当するものと断ずるに足りないものというべきである。

従つて本件被告の変更は適法である。そして右変更の適否は民事訴訟法第百八十四条にいわゆる中間の争いであつて、これにつき裁判をなすに熟したものである。

よつて、主文のとおり中間判決をする。

(裁判官 近藤完爾 入山実 大和勇美)

(目録省略)

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